みやめも2.0

思考のメモ書き

【スポンサーリンク】

安倍談話を検討する

※2015/08/15に書いた引っ越し前の記事です。

 

僕は外出中で中継を見られなかったので、産経新聞の方で全文を読みました。

周りを見ると「なかなか良かったんじゃないか」という意見が多い印象ですね。特に「子や孫の世代まで謝罪する宿命を背負わせてはいけない」という宣言に好印象を抱いている人が多いみたいです。首相の言うように、いまや8割以上が戦後生まれですしね。よくぞ言ってくれたと感じた人も結構いたんじゃないでしょうか。また「自分たちが選んだことじゃないのに負担しなければならない」という理不尽さは、ちょうど僕の世代にとってはゆとり教育を押し付けられたことへのフラストレーションと似ていたりします。


僕はどう思ったか。

僕も場面によっては「若者の理不尽な負担について力強く訴えてくれる頼もしい大人」の姿に、感動したかもしれません。要するに個人レベルなら真っ当な主張なんですよね、コレ。しかし国と国、あるいは国と国際社会という立ち位置では話が別になります。今回の談話はこれまでの談話とは違って閣議決定をし、政権の意向として明確に発表されましたが、そのこともまた"国と国"感を強めることへの追い風となっています。新しいことを言うからこそしっかりと閣議決定したという見方は、内容が適切であればこそ意味があるものの、今回は悪い方向に働いたというのが僕の考えです。まぁ、直してほしいのは発表形式ではなく内容の方なのですが…


さて、改めて全体通しての感想ですが、一言でいうとモヤモヤしました(笑) 
原因は何かというと、「日本の国体は戦前から変わっていないから」これに尽きます。
敗戦してもなお国体が護持され続けていることについては白井聡永続敗戦論でも読んでいただけるとありがたいんですが、要するに日本はずっと変わっていないうえに国民にその自覚が全くと言っていいほど無いんです。色々な国の思惑や行動との複雑な絡み合いがあって今に至っているのに、今は今、昔は昔として個別に認識している人間のなんと多いことか。今の社会は突然今の形で現れたわけではありません。「お前が生まれてから世界が始まったわけじゃないんだよ」って思います(笑)日本に足りていないのって謝罪と賠償ではなくて国民の自覚だと思うんですよね。というか、中韓謝罪と賠償をし続けたってキリがありません。キリがないので中韓のヘイトに走る人もいますが、日本が過去を清算できていないのは事実です。国民は形式的な謝罪と賠償で過去の清算ができていると思い込み本来あるべき認識から離れ、中韓はいつまでたっても許してくれないという悪循環。今回の談話で未来志向的と評価された、日本が独立性を持てるような方向へ主張を展開することには僕も賛同できるのですが、国民の適切な認識がないままそれをやっても厚顔無恥な印象の方が勝ります。僕はその厚かましい感じに酷いモヤモヤ感を覚えました。
これらを踏まえて、最初に触れた「若者に謝罪の宿命を~」という部分への僕の結論を出します。

「少なくとも既存のプラットフォームにおいて、国や社会という単位での責任を個人の入れ替わりで清算できるとする訴えはナンセンスである」

果たしてそれ自体が善であるのかどうかは別です。これから先、社会の在り方次第では無意味になる可能性も十分にあります。しかし"現在のプラットフォーム"ではこうした認識が適切であると僕は考えます。そして僕らは今のところそのプラットフォームに従うしかない。


その他の部分では日露戦争をやたらと美化していた所とかが気になりましたかね。それと、談話そのものの検討からは外れますが「今回の談話で言っていることと安倍政権がやっていることに矛盾がある」という点も当然ながら押さえておくべきでしょう。

テレビ等で騒がれていたのは専ら「おわび」「侵略」等のキーワードが入るかどうかという点でしたが、僕はこれについてはこだわりすぎかなぁという気がします。確かに明文化して引き継いでいくものなので、表現を変更して解釈の幅を与えるとじわじわと伝言ゲームのように修正できてしまうという恐れがありますが、そもそもそういう役割は談話でなくともできるのではないかなぁと思うのです。談話については歴史修正を防ぐ役割よりも、国際社会に対する意思表示としての役割を優先すべきだと僕は個人的に考えます。そしてその意思表示は「日本が言いたいことを言うもの」ではなく、「日本がやりたいことをやるために他国へ働きかけるもの」として認識すべきであり、適切な働きかけは必ずしも一次的に日本にプラスになるような言動とはかぎらないのです。

【スポンサーリンク】