みやめも2

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「教育」の再考③——脱ゆとり教育の正体

 前回の記事(「教育」の再考②——ゆとり教育とはなんだったのか - みやめも2)の続きです。

 

☆☆☆

 

Ⅲ 「脱ゆとり」教育改革

 「ゆとり教育」の後、2008年に改訂された新しい学習指導要領は、ゆとり教育から脱却したということから「脱ゆとり教育」と称され、小学校では2011年度、中学校では2012年度、高等学校では2013年度から完全実施されました。この「脱ゆとり教育」は、「ゆとり教育」から「生きる力」というスローガンを引き継いではいますが、その具体的な内容については教育内容の厳選等を行った前回の改訂とは打って変わり、授業時間の増、小学校外国語活動の導入など、一見すると「詰め込み」への回帰ともとれるような手段が取られています。この「詰め込み」的な手段と「生きる力」という目標との両立が意味するもの……それは、OECDPISAテストを正当性の基盤とした「新学力テスト体制」をベースに、「生きる力」として求められる「単純な知識にとどまらない能力」、すなわち応用力や表現力、コミュニケーション能力などと呼ばれるものを、「学力」として「詰め込もう」という戦略でした。「ゆとり教育」の掲げた「生きる力」がその「目的・意味合い」において「技術」としての性質を持っていたのに対し、「脱ゆとり教育」は「生きる力」という目的に向かうそのプロセスまでもが徹底して「技術」性で満ちていたのです。

 

中教審自身が中教審答申の「生きる力」と同じものだという「人間力」を提起した内閣府設置の人間力戦略研究会(市川伸一座長)の報告書は、人間力を「社会を構成し運営するとともに、自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力」と定義し、『①知的能力的要素』、「②社会・対人関係力的要素」、「③自己制御的要素」を総合的に高めることが「人間力」であるとした。これらの論理を受けた今回の学習指導要領には、狭い意味の基礎学力にとどまらず、人間の創造性を「応用力」、他者とのつながりを「表現力」や「コミュニケーション能力」、社会規範に従い社会参加する力を「規範(力)」や「国を愛する態度」として「生きる力」なる学力に読み込み、この「学力」を獲得すれば、人間力が回復され、社会で主体的、関係的、応用的に生きられるようになり、社会の諸矛盾や学校の病理も回復されるという、驚くほどの学力還元主義――すべての矛盾を個人の学力に還元し、その学力を獲得させればそれらが解決されるという論理――が見られる。ここには社会的困難を個人の能力、学力の「自己責任」に背負わせ、社会矛盾を教育による学力形成で始末するという教育観がある。(佐貫浩2009『学力と新自由主義』32頁)

 

 この「脱ゆとり教育」のもとで学力として詰め込まれる「主体性」というのが「技術としての主体性」にあたるというのはもはや言うまでもありませんが、そもそも「生きる力」を学力に還元できるとする根拠となっている日本の「PISA型学力に基づく学力テスト体制」は、本来のPISAテストやその背景にあるキー・コンピテンシー(主要能力)論と比べると、歪んだものになっていると言わざるを得ません。
 第一に、PISAテストはあくまで標本調査であり、学力の現状を調べるものですが、日本の学力テストは、学校教育をコントロールし学力を一定の方向へと誘導していく公教育システムの一環となっています。PISA調査は決して学力テスト体制を必然化するものでも正当化するものでもありません。
 第二に、キー・コンピテンシー理論は、①社会・文化的、技術的ツールを相互作用的に活用する力、②多様な社会グループにおける人間関係形成能力、③自立的に行動する能力、という三つのカテゴリーを核としていますが、PISA型テストによって計測・獲得されるのは基本的にこれらのうち①、つまりリテラシーだけだということです(注1)。子どもが人間らしく生きる世界を回復するという視点を欠いた一面的なPISA型学力競争は、学力の歪みをかえって拡大するでしょう。
 そして第三に、PISA型学力が、北欧型福祉社会構造や、イギリスにおける青年への社会参加支援システムや、西欧諸国の青年のシチズンシップ保障の伝統とつながれるとき、コンピテンシーの獲得は、とくに底辺の排除の位置に置かれている青年が、そこから脱出して社会参加していくための不可欠な力量の獲得につながります。その限りではここで言われているコンピテンシーは、一人も落ちこぼれ(=排除者)を生み出さないために、弱者がそこから脱出して社会参加する力量として把握されています。しかし日本の自己責任論の土俵では、競争の勝利者に残るための力量として「生きる力」が把握され、それを獲得できない者は社会からの排除を自己責任で受け止めねばならないとされてしまいます。弱者を切り捨て、国民の安全や福祉の視点を欠落させて社会の格差化を加速させる日本の政治や経済のもとでは、PISA型学力はグローバル経済市場で勝ち残るための労働能力へと一面化されるのです。
 このように歪んだ形でのPISAテストへの固執は、学校教育全体に脅迫的な評価システムを蔓延させる要因となっています。またそうした評価の目線は学校内のみならず、家族をはじめとする親密圏にまで浸透し、「よい子」であることが小さい頃から子どもの生活を支配するような、抑圧された環境を作り出しています。

 

 

④に続く……

 

注釈

(1)たしかにPISA調査はアンケートなども合わせることで、キー・コンピテンシーの②や③に当てはまる能力も若干は調査している。しかし「アンケート」はテスト圧力には乗らないため、テストシステムの一環として②や③の能力それ自体を課題化し競わせることはできない。新学習指導要領の学力観は、要素主義的に把握されたリテラシーの訓練によって、PISAコンピテンシー全体が獲得されるという誤った考えが基にあるのではないか。

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